働くみなさんとともに

現在、保育士の不適切保育や、学校でのいじめ・体罰、介護職場での虐待などがセンセーショナルに報道されています。
私も子を持つ保護者として、いかなる理由であってもいじめや虐待はあってはならないことだと感じますし、子どもたちが心に受けた傷を思うと胸が締め付けられる思いです。


ただ、こうした問題が発生するたびに、働く人の権利意識の再教育ということや、監視カメラなどのデジタルの活用が言われますが、個人の資質や意識の問題、ましてや厳しい労務管理や処分では解決をしないのではないか。と私は思います。


むしろこうした個人バッシングや労務管理は、働く人を委縮させ、自分の保身のため、お互いに改善策を出し合ったり、現場をよくするために協力し合う「民主的な職場環境」を奪うものだと危惧します。


いじめや虐待の背景には、力関係が存在しており、利用者である子どもやお年寄りのほうが立場が弱い存在であるがゆえに起こっている問題だと考えます。ですから、企業体質や、働く方の環境が大きく影響しているのではないでしょうか。


例えば、保育士の配置基準の問題や、学校における学級人数の問題。今の配置基準が本当に適当なのか、見直していく必要があります。今の状態は、こどもに携わる職員の献身性に頼りきり、長時間労働や過重労働がなかなか改善されません。やりがい搾取のはてに心身ともに疲れ果て退職の道を選ぶことにつながっています。
そして、必要な職員は使い捨ての非正規ではなく、正規社員として配置すること。それに見合った賃金や労働条件であることです。現在仙台市でも、子どもたちにかかわる労働者の処遇が悪すぎます。会計年度職員、非常勤講師、外郭団体など、こどもに丁寧に向き合いたくとも、自分の雇用すら守られない状態の人が多すぎるのです。


労働者を大切にしない状態では、要員不足も解消されません。子どもたちの育ちやまなぶ環境を整えるには、なによりもまず、働くみなさんの環境を整えることです。それなしで質の高い保育、質の高い教育はやはり難しいのではないでしょうか。


また、ケア労働を担うのはまだまだ女性の割合が多く、その賃金はつねに低く抑えられています。子育てや介護などは家庭内ですることであり生産性がないと、その地位も低く抑えられてきたためですし、子育てや介護をしたことがない人たちが、子育てや教育政策、医療福祉政策を作ってきたということのしわ寄せが現場で働く人を苦しめていると感じています。


女性が担わされてきたケア労働の社会的地位を上げ、配置基準や報酬の見直しは急務の課題です。だからこそ、当事者である私たちが声をあげる必要性があると思いますし、私も当事者の一人として、代弁者としてこの問題に携わり、変えていきたいと思っています。


最後に、より安く、より便利に、より簡単に、というのは利用者としてみればいいことのように感じますが、行き過ぎた規制緩和による安全対策の軽視、人身事故や災害も問題になっています。企業が社会的な責任よりも利益を重視するあまり、結果、働く人の賃金や、労働環境を削ることが正義とされてきました。


しかし、すべてがコストでみられ、ムラやムダを省くような社会、会社は息がつまります。
わたしは子どもたちに、「社会は理不尽なんだ」と我慢させるような教育や社会通念を変えたいと思います。我慢ではなく、声をあげて社会や職場を変えて行くことは当然の権利です。


ひとりひとりが尊重される社会というのは、結果として一人一人の人生を豊かにし、多様性を尊重することにもつながるはずです。
ともに、市政を、社会を変えて行きましょう。